初代 - 上月圓覺大祖師

上月圓覺大祖師様の法名は上月、法号は円覚であられます。

1911年陰暦11月28日、江原道 三渉郡 蘆谷面 上馬邑里  ポンチョン村で密陽朴氏一族密城大君の
子孫として生まれました。

上月圓覺大祖師様の法名は上月、法号は円覚であられます。 1911年 陰暦11月28日に江原道  三渉郡 蘆谷面 上馬邑里 ポンチョン村で密陽朴氏一族密城大君の子孫として生まれ ました。 俗名が準東だった幼少時代から格別な聡明さと真剣さを持った大祖師様は、縁の到来と ともに大きな志を抱き、15才になった春に出家を決心されることになります。 出家以後、 国内外のさまざまな寺院を訪問して勇猛精進される中で、観世音菩薩を親見し、その場に救 仁寺を創立されました。

救仁寺を建ててさまざまな弟子らと修行された 1951年陰暦12月28日、ついに大祖師は大きな悟りを得ます。 大道を成し遂げられた以後、 大祖師様は数多くの業績を残されました。 これは永い歳月の間、さまざまな方式で具現され ましたが、結局は新しい仏教運動の一環として帰結されるということでした。 新しい仏教運動 の目的は、数多くの衆生を教化して救済することで‘上求菩提下化衆生’の菩薩精神に符合する ことです。


ずいぶん昔、中国の天台智者大師が天台法話の一乗の真理を明らかにされたように、 そして高麗の義天大覚国師が数多くの宗派を円満に統合されたように、上月圓覺大祖師様も三大 指標を通じて衆生救済を実現しようと考えました。 そして歴史の中で続いた長い間の使命を今 一度生き返らせ、高貴で真の精神を継承するように天台宗を重唱しました。 大韓仏教天台宗の 重唱は宗派を越えて韓国仏教史の一線を引いた重大な事件です。 長らく断絶してきた韓国天台 宗の伝統を続く大韓仏教天台宗は大祖師様の指導の下、各分野の専門家たちと天台の思想と歴史、 信仰修行に適切な基盤を整えました。

その後、上月圓覺大祖師様は愛国仏教、生活仏教、大衆仏教の新しい仏教運動を展開しました。 天台宗の三大指標は大祖師様が追求された仏教の姿と精神をとり入れて具体的に提示されました。


大祖師は三大指標を実践できる具体的な方案を提示する一方、韓国の伝統文化を継承する生活法度と 現代生活と調和を作り出す戒律を確立しました。 そして歴史性を基に宗団の指標と綱領を制定し、 仏教の大衆化と生活化を核心とする宗憲を宣布しました。 衆生教化のために天台宗をこの地に再び花 を咲かせられた上月圓覺大祖師様は、1974年陰暦4月27日涅槃に入られましたが、 大祖師様は慈悲深くて偉大な師として、私たちの胸中に永遠に生きておられるでしょう。